20s HIPHOP「mosdef」名盤の続編という呪いから21年遅れで気づいた”予言”の正体

誰も準備できていなかった衝突事故。Mos Def『The New Danger』を21年遅れで聴く

深夜、ヘッドホンをつけたまま何かに殴られたような気分になったことはあるだろうか。2004年、Mos Defの2ndアルバム『The New Danger』を初めて再生したリスナーの多くは、まさにその状態に陥った。

前作『Black on Both Sides』(1999年)は、90年代ニューヨーク・ヒップホップの美学を極限まで研ぎ澄ませた金字塔だった。だからこそ、その続編に対する期待値は天井知らずだった。しかし本作でモスが差し出したのは、繊細なブーンバップの続編ではなく、歪んだギターと荒れ狂うグルーヴにまみれた、ほとんど別ジャンルの音楽だった。当時のファンの多くが戸惑い、批評家の反応も真っ二つに割れた。

だが今、20年以上の時間を経てこのアルバムに針を落とすと、まったく違う景色が見えてくる。これは失敗作でも迷走でもなく、時代を先取りしすぎた「予言の書」だったのではないか。

生々しい轟音を生んだ、あり得ない面子

本作最大の特徴は、モスが自ら結成したバックバンド「Black Jack Johnson」の存在だ。そのメンバーを見ると、ロックやファンクの歴史を知る者ほど言葉を失う。

Living Colourのリズム隊であるWill Calhoun(ドラム)とDoug Wimbish(ベース)、ハードコア・パンクの伝説Bad BrainsのDr. Know(ギター)、そしてPファンクの魔術師Bernie Worrell(キーボード)。ジャンルの垣根を破壊してきた猛者たちが、モスのラップの背後で剥き出しの生演奏を繰り広げる。

『Ghetto Rock』や『Zimzallabim』を聴けば一目瞭然だ。歪んだギターリフが唸り、ドラムは重戦車のように地面を踏み鳴らす。モスはそこに緻密なライムだけでなく、感情を剥き出しにしたシャウトを重ねていく。サンプリング主体のヒップホップが主流だった時代に、これほど生々しいバンド・グルーヴを真正面から鳴らした作品はほとんど存在しなかった。

混沌の中に潜む、モスの「歌心」

批判の的になったのは、まさにこの「散漫さ」だった。激しいロック・ナンバーが続くかと思えば、アルバム中盤では一転して極上のブラックミュージックが顔を出す。当時まだ新進気鋭だったカニエ・ウェストが手がけた『Sunshine』は、その象徴的な一曲だ。高揚感あふれるソウル・サンプルの上で、モスは肩の力を抜いた軽やかなフローを聴かせる。

さらに興味深いのは、本作を通してモスが「ラッパー」という枠組みを何度も踏み越えている点だ。ブルースシンガーのようにしゃがれた声で唸り、ネオソウルの歌い手のように甘く歌い上げる。ラップと歌唱の境界を意識的に曖昧にすることで、荒々しいサウンドスケープの中に不思議な色気と統一感が生まれている。この「歌心」こそが、単なるロック転向作ではない本作の奥行きを支えている。

早すぎた予言が、いま現実になった

現在のヒップホップシーンを見渡してみよう。ラッパーがサイケデリック・ロックやジャズ、ファンクを平然と飲み込み、ジャンルの境界そのものが意味を失いつつある。ラッパーがバンドを従えてライブすることも、もはや驚きではない。

『The New Danger』は、その未来をおよそ20年前倒しで体現していた作品だ。モス・デフは2004年の時点で、ヒップホップがいずれ辿り着く「ジャンルレスな混沌」をすでに予見し、自らの肉体でそれを鳴らしていた。当時の耳には過激すぎた音楽が、今の耳には驚くほど自然に響く。それこそが、このアルバムが「早すぎた」ことの何よりの証拠だ。

洗練されたヒップホップに少し飽きた夜は、この荒々しく自由な一枚を大音量で浴びてみてほしい。20年越しの答え合わせが、そこにはある。

次回も、名盤をディギン。

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